願いは同じのはずなのに
Modest-Life管理人のひなたです。
先日、森三中大島さんの妊活宣言について感じる違和感を記事にしました。
関連記事 妊活宣言の森三中大島さんとネット賛否に感じる違和感
この時、日本人特有の秘め事に関する考え方が影響して、
『堂々と妊活宣言する』
ことに少しだけ不快感を感じるのかな?と思ったことを書いています。
先日、男性不妊についての大規模な調査が行われ結果が公表されました。
ニュースでも取り上げられましたし、見た方もいたのではないでしょうか。
ただ、
残念ながら、いくらテレビで放送されても、ネットの記事にコメントがついても、どれほどの人が『私も検査に行ってみよう』と考えるでしょうかね。。。
たしかに最近『妊活』という言葉は受け入れられるようになったと感じます。
ですが一方で、まだまだ
『不妊治療』
という言葉はすんなりと受け入れられておらず、みんなが見たくないもの、考えたくないものとして腫れ物に触るような考えでいることが残念でなりません。
今回は、そのことについて記事にしていこうと思います。
妊活と不妊治療の違い
まぁ、この2つの違いについて、例えば『医学的にどうだ!』というのをこんな個人ブログで言ってもしょうがないと思いますので、私の印象にしておきます。
『妊活』は、
やっぱりそもそも自然妊娠が可能な夫婦が、プライベートや仕事でも何かの事で子供つくることを少し避けていて、これから『さぁ、頑張りますか!』と前向き進めていく活動。
というイメージがありますえ。
そして次に『不妊治療』は、
自然妊娠を目指して活動したが授かることができず、検査の結果なにかしらの原因が判明したため、医療の力を借りて妊娠を目的とする治療を行う活動。
という印象ですね。
まぁ、
不妊の定義は1年以上子供が欲しくてもできない、、、といったものもきちんとあったりしますが、一般的な知識や印象としてはこんな感じが多いのではないでしょうか?
~Modest Life~
実はつながっている
こう考えると、実は
『妊活の流れの一部に不妊治療があるんだ』
ということに気が付きます。
違うものではなくて、同じものなんですよね。
というのも、
結局誰しもが最初は妊活をしていたはずで、妊活の結果なかなかできないことから病院に検査に行き、診断を受けて治療行為に入るということになっているはずだと思うんです。
私も最初は妊活をしていたので、子供ができる・できないという、0か1かという残酷なものによって、不妊治療の道に入っていくことになりました。
どうして自分が不妊症!?
診断されたときは、なんとも複雑な感情になってしまったのを思い出します。
同じ出発点なのに
私個人の感想ですが。
『妊活』には、希望や楽しみが含まれていると思うんです。
『希望したように、すぐに子供ができて、幸せな生活が待っている』
という希望が。
確かにそれはその通りだと思います。
まさか自分が不妊だと思う人はいないでしょうし、不妊だと思っているのに妊活をしよう、という人もいないでしょう。
そして不妊治療には、ほんの少し、少しだけ
『お願いだから私たち夫婦のもとに来てほしい』
という切なる願いが透けてきます。
私の受ける印象としては、少しだけ悲しい感情を含んでしまうんですよね。
普通の治療行為になればいいのに
妊活も不妊治療も、どちらも子供を願う夫婦が行うことなのに、なんとなく受ける印象が違います。
そしておそらく、両親やほかの他人に話せる内容としても全然違います。
なんとなく今現在、待機児童や保育園の問題、そしてそもそも少子化の問題など、妊活についてほんの少しだけ理解のある世の中になってきているように感じています。
そんな中、今度は不妊治療という子供を切に願っている夫婦にとって、マイナスでもプラスでもなく普通にある治療行為の一つとして不妊治療が考えられる世の中になってくれればよいな、と願います、